2008年02月27日

act 4 note from Ryota Aoyagi

青柳さんからact4についての文章を頂きました。
読んでみると作品諸々の理解が深まるように思います。
訪れた方々はどのように感じるかなあ。


act4.jpg



言葉の森。

二日続けて、来てくださった方がいました。
通りがかりで。
50代半ばくらいの男性。

彼は座り込んで、2時間近く、話していた。
ずっと、独りで。
とても深く、存在や、自我や、この世界の事を考察している人。
とても沢山の事を考える人。

上手く言えませんが、全部知っている人。
それでも彼は考え続ける。
実際に、歩き続ける。

言葉の森だと思いました。

その森は、出口が無い。
その悩みは、尽きる事が無い。

それが言語というものだから。

解るとか、解らないとか、正しいとか、間違っているとか。
その分別や認識は、言葉であり名前に過ぎなく、意味ではない。

でも我々は、言葉という道具を使って考える。
あまりにも不完全な、決定的な欠陥をその性質として内包する言語を使って。

しかし、人間の存在が言語という要素を持って定義しうる限り、我々は、その、言語の欠陥から逃れる事はもう出来ないだろう。
あらかじめ、組み込まれてしまっている。

ヘッセのシッダールタでゴービンダは言葉の森から抜け出す事が出来なかった。
総てを知っているにもかかわらず。
矛盾を矛盾だと思ってしまった。
それが言葉の矛盾だと気がつかなかった。
矛盾は世界の姿であり、本質的なものであり、それは意味であり、調和だと、彼は感じる事が出来なかった。
言葉という道具を使ってこの世界を解釈するから、あるがままを知る事が見る事が出来なかった。
言葉の森に迷い込んでしまった。

認識は、言語化は、分断する事。
あるものに名前をつけて現すと、同時にそれは名付けなかったものを覆い隠す事になる。
悲しみは悲しみだけでは存在し得ない。
そこには不可分な喜びも、あると僕は思う。
世界は分断された部分として存在しているのではなく、相互に干渉しあう関係性のなかで全体として存在している。

我々はこの言葉の森から死ぬまで抜け出す事が出来ないだろう。
人間という存在は、物心がついた時には既に言葉を使っている。

the fatal disease
言葉の羅列、ノイズ。
それは産まれた瞬間から絶え間なく、言語という媒体でもって感染してくる。
そしてそれが、ゆりかごにいた生き物が、人間になる。
考える葦に。

人間がテーマ。
言葉を解体して無意味化して再構成する個展でした。
笑い飛ばしてやればいいという。

posted by mono at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | act | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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